人は様々な関係性の中で日々ストレスを抱えて生きている。
人によっては仕事上・町内上・家族:子供に対して・夫(妻)に対して・生活上
寝ている時間以外の全てを何かしらのストレスを感じながら
日々過ごしている人もいるかもしれない。
寝ている時間もしっかり眠れているか分からない。
薬に頼らざるを得ない人もいる。
小さなストレスが蓄積されて、心は前向き・ポジティブに捉えようとしても
身体は不調のサインを出すものである。自覚症状が出ていなくても、身体は悲鳴を上げている。
心と体と社会関係をもって日常生活を営む存在の「人間」である以上、
この3者の均衡は良好に保っておきたいものである。
面倒な社会関係
社会関係のほとんどは対人関係(人間関係)ではないだろうか。
上手くいかない時、誰もがよく言う事として
「他人と過去は変えられないけど、自分と未来は変えられる。」
というが、自分の意識や行動を変えても他人の意識がそこに向いていない時、
未来が変わるまでのエネルギーは想像以上に辛い時もある。
それが至る所にあり、避けたくても避けられない時もあるわけであり
結果様々な不調をきたし病気を誘発させる事もあるわけである。
なら一層面倒なこうした社会関係はない方が良いのではないか。
競争意識を煽られるような、生活上不安を感じさせられるような
不健康一直線になる可能性のある、人との関りは持たない方が良いのではないか。
幸せな社会関係
ストレスと言えるのか分からない巨大なストレスの様な得体のしれないモノに覆われている時があった。
人生や仕事に強烈な理不尽さを感じ悩んでいる時、唯一拠り所としていた「家族」の在り方も
分からなくなるようなダブルパンチを受けていた時である。
その時孫の言葉が響いた。
〇「じいじはわたし(ひらがな名前)のたいせつなひとです。」全部ひらがな(普段絵文字と漢字)
〇何気なく孫の日記を読んだときに飛び込んできた文字「じいじの笑顔が私の宝物になりました。」
〇私の帰宅後、孫と妻が食事を済ませた後だったが孫は空腹にも拘らず一口も食べてなかったらしいその理由が
「じいじのたべものがなくなる。」と言ったそうだ。
涙とともにストレスの様なものは洗い流された。
孫の言葉、それは打算も澱みのない純粋無垢で、その身体でそれ以上表現できない心からの言葉である。
思いやりの心や言葉が幸せな対人関係強いては社会関係を生み出す源泉となる。
続いていく社会関係
孫からのまっさらな言葉、それは自然。そう、自然が何よりも生きていく為の社会関係の継続に不可欠なのである。
対人関係をゼロにしても死ぬ事はないが、間接的にでも人が絡む社会関係とは関わらなければ
人間としての存在でなくなる。
皮肉な事に絶えずストレスとストレッサーの関係、つまりダメージや修復回復を繰り返しながら
社会関係は続いていく。
自分を縛る嫌な関係性を断ち切るのも良い、距離を取って一度誰もいない無人島又は
誰も自分の事を知らない町に行くのも良い、一層そこで住んでしまうのもいいかもしれない。
命以上に(命と同等含む)大切なものをもってどこへでも行けば良い。
そこで新たな社会関係が出来てストレスと付き合っていく事になる。
正直言わせてもらうならば
ストレスのない生活はおもろない。
人を思いやる心とほどよいストレスと付き合って生きていきましょう。
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