介護相談を受けていると
相談時に話してくれていた事以外の情報や、より重要な情報が隠れている事は多い。
また話してくれていた情報が偽りの情報という事もある。
「生活の課題を共に考えて欲しい」との思いで相談に来てもなぜ全てを話さないのか。
全てが見えないからこそ適切なケアを享受できないわけである。なぜ話さないのか。
人に知られたくないから話したくない
生活相談に来ていても自分の中で抵抗を感じている人は多い。
心身状況・家族状況・経済状況、人に知られたくないような
情報を晒さなければならない事に抵抗を感じているのだ。
〇限界の生活実態を人に伝えるのが惨めで言いたくない。
〇家族や大事な人にさえ、自分の本当に困っている生活上の課題を話せない。
〇フワッとした情報のみで、細かな部分は濁し続ける。
〇家族間で状況への認識や価値観の違いで表に出ない。
〇生活上の課題を知ってもらう為には、
その課題に付随するありとあらゆる真実の情報開示が必要になってくる。
つまり、解決させたい部分以外の想定外の情報まで晒す事に抵抗を感じるのだ。
どうしようもなくなってからの介入
自分の事は自分でしろとの国や社会からの自助努力頼みのプレッシャーの中で
「共によりよい人生の為に考えていきましょう。」との福祉職からの言葉もむなしく、
自分達だけで抱え込み、その結果二進も三進もいかなくなってプロに相談しに来るが
その相談自体も前記の様に、全てを話さない把握しきれない問題が浮上し
より悪化しては施設入所や入院又は警察のお世話になったり等といった状況に陥る。
そうなる前に全てを話してくれていたら、使えた制度や社会資源があったかもしれないのに、
相談者と援助者の関係性や個人のプライドや自助精神を植え付ける社会等々が邪魔をして
話せない事も多い。
最悪の状況になって「初めまして。」とケア職と対面するなんてことはザラにある。
「切れ目のないケア」等と業界人達は口にするが、職場・職務内容という線引きされ自分達の生活に
火の粉が飛んでくる恐れもない為に、本当に親身になって生活を・人生を共に考えてくれる人はいるのだろうか。
信頼できる人
生活課題を前に本当に辛い精神状況から、全てを開示して親身に相談に乗ってもらえたら言う事はないが、
貧困ビジネス・あってない様な個人情報保護・知った情報をダシに笑い話にする業界人等がいるのは事実である。
その為・・・
大阪生まれの筆者は「晒せ晒せ自己開示せなケアもクソも人間関係おもろない。」と豪語していたが、
そういう外道の多さ、言いたくない本人や家族の複雑な思いを前に、我が身「介護福祉士」の立場を見つめなおす。
介護福祉士=○○○と様々な良い代名詞・悪い代名詞言い回しをしているが。
生活に人生に直接関わっている職種はいない。
リハビリも・看護も範囲の大小あれど人生を支える重要な線であるが面ではない。
ライフプランナーも税理士も役所も銀行も人によってずっと付き合うが、大量の点でしかない。
介護支援専門員や社会福祉士等々の相談職も書面や口頭での情報で生の実態を見るわけではない。
そこで介護福祉士
家族ではない・友人でもない・敵ではなく味方。このポジション距離感でありながら、
家族並かそれ以上に本人の情報を知り、直に触れ合いながら本人の思いや願い、可能性を代弁できる職種。
全てをさらけ出せる本当に信頼できる人なのではないだろうか。
国からは「クズ以下」の評価をされ続けた職種で、相変わらず今でも数字でしか見られていないが、
介護福祉士としてつまり、
人間として信頼される職業と認められなければならないのだ。
そして介護福祉士に相談する時は恥も・プライドもなく情報を開示して欲しいものだ。
コメント