隣の家が建て替え工事をするようだ。
既に解体は済み、その更地を見ながらこのブログを打ち込んでいる。
境界線どうのとか損害賠償云々の話では全くなく、
解体時にその家に住み着いていたG(ゴキブリ)やその他の虫たちの事を考えていた。
問答無用で容赦なく住処を破壊され、居場所を失い生き残るために必死で
隣の家に移り住もうとするはずだ。隣、つまり我が家である。
彼・彼女達もそこに住みたくて住むわけではなく、そうするしかないのである。
ここ3年程Gは見ていない。正直その点で快適さを感じている。
だが、隣の家が解体されると出現率が大幅に増加するらしい。
私の生活スペースに仕方なくでくわしたGを私は排除するだろう。
その為の市販で購入した予防策は念入りに行った。
介護される者の居場所は?
意思決定支援・本人の思いが大切とは言うが、その意向は曇りない本心だろうか。
誰もが将来なるであろう、身体が上手く動けなくなり家族や人に迷惑はかけたくない。
本心は、解体されてもいない自分の家でゆっくり自分の事は自分でしたいはずである。
又は配偶者や家族が面倒見るのが当然と構えている人もいるかもしれない。
入院や施設入所をきっかけに、退院後や在宅復帰後に帰ってこらる事を好まない家族も多い。
帰ってこれない様な予防策で、次の施設を探したり退院を伸ばそうともする。
逆に本心から自分の肉親や義親の面倒を見たいと思っている人もいる。
人に介護される立場である以上独居であっても、訪問介護員や訪問看護等その居場所に
自分以外の人と生活を共にする時間が出てくるものである。
双方の価値観・文化・生活状況等とのバランスを取りながら共存を図っていく事となる。
業者はお客でもある為に合わせようともするし、そもそも対象者の人格を受け入れる事を重要視する。
それでも人間である為に、我慢できない・許容できない範囲も当然ある。
この自分と人との距離感を適切に保てるかどうかが、
本当に安心できる居場所に繋がっていくのである。
混在する文化
日本の人口は減っていくが、世界の人口は増加の一途を辿っている。
移民によって発展していったアメリカ、治安も少しずつ良くなり人口増加激しいインドやアフリカ。
それ以外でも戦争や紛争によって多数の難民を受け入れていたり、
私の実家に至っては既に多国籍化しつつあり、日本語が話せない人にゴミ出し1つ何度も説明しなければならない。
同じ空間に違う文化の人が混在すると、パワーバランスが影響力を持つようになる。
コロンブスが始めたインディアン戦争や、アパルトヘイト、文化戦争・宗教戦争だけでなく
差別思考そのものが、争いを助長させる。
文化を混在させないために境を作るか、輸出入等の国家間や友好や婚姻等の国民間での交流がある以上
明確な線引きは出来ない。むしろ線引きなんて排除して皆で手を取り合うべきである。結果文化は混在する。
自分が快適に呼吸する為に、より資源を獲得し快適に生きる為に、自分の想像の枠外の文化は容認できない為に、
私はこの家で何も悪い事していないGは見つけ次第排除する事にする。
適切な時間の距離感
配偶者や親からの虐待でされた側(主に子供や女性)が居場所を失う。
熱々のアベックがベタベタ過ぎて、短期間で破局どころか嫌い合う。
何でも自分だけで抱え込み、仕事や介護等の疲労の末にうつになる。
どこかで何かへの依存が強く、予想外の結果を目の当たりにして人格が変わる。
自分のスペースにG等の生物を想像し、眠れずに健康を害する。
手を取り合い共存と言っておきながら境作ってピーピー喚く人間でも、
共有する空間があろうとなかろうと、時間という距離感もある事を知ろう。
- 子供でもシェルターや心の切り替えができる様な第2第3の場所をもつ。
- カップルでも会えない時間を取り、お互いの重要性を毎回認識する。
- ある程度個人情報漏洩覚悟で、人に頼り相談して、考えない時間をもつ。
- 依存していた何かを客観視して、自分に合う距離感をもつようにする。
- G等の受け入れられない生物を知り、可愛いと思える部分を探る。
ごめんなさい、最後のGに関しては無理です。ごめんなさい。
いずれにしても、時間の距離感も有効で「あの時は〇〇〇だったな。」と
あっさり簡単に過ごせる事も多かったりする。それでもいつまでも根に持っていたり
復讐を考えている人も多いのも事実。
傷付いた血や悲しみの涙を流す結果だけはどうしても見たくない。
だが決して来るはずのない、皆が手を取り合う瞬間は常に夢見ている。
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