何でもかんでも自分で出来る。自分でする。
それがいつでも全て自分の思い通り、イメージ通りに進み完成し何不自由なく
生活が送れている。人生を謳歌できているのならそれはそれで素晴らしい事かもしれない。
どこを調べても大概「1人で支援を受けずに成り立たせる事」と解釈されている。
それはどうだろうか・・・・・
自分の生命や生活の安全を親や保護者等に依存していきた子供の頃とは違い、
あらゆる選択肢と学びを獲得していった大人であっても、
時として不安を覚え悩み大きく失敗して、塞ぎこんでしまう時もあるものだ。
ましてや、今までで当たり前にしてできていた事が少しずつできなくなってくると尚更だ。
頼るべき人は誰?
その出来なくなってきた又は不安を感じている内容が、日常生活の時真っ先に頼るのは家族であろう。
介護や医療の業界人もその対象者に対して異口同音に「ご家族は・・・・・」と聞いてくる。
ひと昔まではこの「家族依存型の生活構造」が主流だった。
今ではどうか、誰もが感じているであろう現代の社会情勢を前に、家族の構成員個人個人の行動や状態に対する
全てが家族責任等と捉えきれない事実に、業界人でなくても分かってきてるのではないだろうか。
家を出た家族は自分達の家族での生活で大変で、面倒見きれない事も多く、
自分達の家庭内であっても気を取られて精神的にも疲れてしまう人も多い。
昔は家族が主に女性が当たり前に担う家庭内の営みとして、広辞苑にも載っていなかった「介護」が今では
「サービス」とつく程、他人の介護を行う職業として存在している。
人々が皆で起こりえるリスクに備える為の社会保険の1つとして、2000年には介護保険が誕生し
利用者は爆発的に増えていった。
これはこれで家族責任から逃れようと人様に見られる事を避けて隠そう隠そうと
姥捨て山文化撲滅にも一役を担ったのではないかと思う。
当初は利用者の言いなり何でも屋の様な介護職だったのが、
本来の役割でもある本人の自立支援を目的とした職業に向かっている。
この様な自立支援のプロにお願いして、自分が自立していける為のサポートを自分で選んで
獲得していく事も自立であるのだ。自立の為に頼るべき人は自立支援のプロという事か。
そう、頼るべきは「苦しみあえぐ者の為に共に戦う」人である。⇦ナイチンゲール「天使とは・・・」の言葉
無知な人から、いかにお金を多く取れるかが商売
商売の悪しき一側面である。
何かを利用する時、製造加工・修理修繕・サービス・飲食・物販ありとあらゆる商売がこの世にはあるが、
人に頼る行為に対して知識のない人の「上げ足を取る」、多めに騙し取る人がいるのも事実である。
相場を知らない、依頼する内容の労力を知らない、気付いてないから黙っておく。
簡単に契約を交わし、後々に気付く人も多い。
済ませられるのなら知らぬが仏でも良いのだが、知らない世界が故に「騙されたくないから」と
自分で何でもやろうとする人もいる。他者を信じないのだ。
自分でやって上手くいけばよいのだが、餅は餅屋なもので最終的に自分でやるより
安く早く綺麗に進むこともある。自分達で抱え込まず頼れる人に相談していく事が重要で、そこから
ただ自立するのではなく、自分で納得た上で適正なリスクを取って快適に幸せに生きる事が大切だ。
社会に問う
未だにある「介護」への偏見や蔑みの見方というのは
これまで社会が経済活動ばかりに集中して社会保障や社会福祉の拡充の遅れた事により、所得やケアの私的な確保が優先される性格が克服されておらず、私的扶養を調達できない人々の為の残余的なものとして存在している事を示しているからに他ならないのではないかな。
介護の職業をクズ集団・カス扱い以下の目線を向けてきた国も、そろそろ舵の取り方を一緒に考え直しましょう。
これまでハイリスクローリターンをひたすら繰り返す人生だった私は今、
限られた財力を前に業者依頼する内容や「補助金」「助成金」等と闘いながら
自分で掲げた「30分介護サービス無料」を睨みつけている。
私は誰に頼る?私は自立できる?私はそれなりに知ってる?
「認定介護福祉士としてやったろやないか!」
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